佐倉〈ゆうゆうの里〉

入居してから、老後が「おまけの人生」ではなくなりました。すべてがかけがえのない時間です

佐倉〈ゆうゆうの里〉罍 サイ子様(75歳)

(35年間教師を続けてこられたのは、先生同士、地域、子供たちとつながりがあったから)sk_happytime20.jpg

福島県会津若松市の近くで、5人きょうだいの末っ子として、祖父母もいる10人の大家族で育ちました。小学時代は「農繁期休暇」があって田植えや稲刈りを手伝う時代でした。やがて私は、新潟の大学に進学するため故郷を離れました。教育学部を卒業して、就職のため東京に出てきてから小学校の先生になりました。就職した...

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食生活を大切にしているので、ホーム選びは「"食"が楽しめる所」が条件でした

佐倉〈ゆうゆうの里〉大西 幸江様(78歳)

(松山の中学校で出会った英語の先生)sk_happytime16.jpg

生まれは愛媛県松山。4人きょうだいの長女です。家は兼業農家で、稲を植える時期になると母から「自分の食べる分だけでも植えなさい!」と言われていたことを思い出します。中学校では、素晴らしい英語の先生に出会いました。他の英語の先生とは全く違っていたんです。英語の時間になるとテープレコーダーを持って教室に入ってくるんです。それを生徒に聞かせるの。先生は...

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自分には何があっても大丈夫。運動量も増えて寝つきも目覚めも良くなりました

佐倉〈ゆうゆうの里〉吉田 丈夫様(82歳)sk_happytime14.png

(随分と長い間自炊してきました)

まだ私が電気化学会社に勤務し現役で仕事をしていた時、女房が56歳で亡くなりました。もともと心臓が弱くて、心筋梗塞でした。普通に元気で生活していたんですよ。介護をしたとか、入院していて面会に行っていたとか、全くないですね。ある日仕事が終わって自宅に帰ったら女房が倒れていて...そのままでした。あまりに突然のことに、しばらくは食事が喉を通らない状態が続きました。受け入れることが...

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入居前に想像していたよりも、ずっと多くのお付き合いが広がりました

佐倉〈ゆうゆうの里〉上林 信雄様(81歳)・美智子様(77歳)

(二人は北海道出身、結婚してから東京へ)sk_happytime12.jpg

ご主人 夫婦共に北海道の出身です。結婚は確か前のオリンピックの年だったかな。

奥様 オリンピックの次の年よ。だから結婚して56年になるのね。とにかく主人は真面目な人。それに背が高いでしょ!どこにいても目立つの。社交的でね。お酒を飲んでみんなでワイワイするのが好きだから、いつも人に囲まれていましたね。

ご主人 女房は我慢強い性格ですね。結婚してからも...

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研究者として、牧師として互いに支え合ってきました。ここで、また、二人の新しい人生が始まりました

佐倉〈ゆうゆうの里〉安藤 俊就様(79歳)・博子様(73歳)

(「牧師の夫にはなれないよ」と言った夫が...)sk_happytime10.jpg

奥様 結婚前はスポーツジムの企画の仕事をしていました。あまりに忙しくて体を壊し、辞めようと思った時に夫とお見合いしました。そのときに「どんなお仕事ですか」と聞くと、10分ほどじっと黙っていた後「次世代のための研究です」って答えたんです。

ご主人 日本原子力研究所にいて、私がやっていたのは「核融合炉の開発」です。太陽は核融合で光っているし、宇宙の星々も大部分は核融合で光っています。それなら...

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ここに入居して、初めての個展ができました

佐倉〈ゆうゆうの里〉奥山 弘様(75歳)多恵子様(75歳)

(私はいろんなことをやらせてもらいました(奥様))sk_happytime8.jpg

奥様 現役時代、主人はあまりうちにいませんでしたね。寂しかったけれど私も家でじっとしていられるタイプではなかったのでエレクトーンを習ったり、横浜に住んでいる頃は中華街で中華料理の教室に通ったり、日本語学校の講師をしていたこともありました。中華料理を覚えたことは、その後、日本語学校で知り合ったアジア、欧米の生徒達を家に招いた時大変役に立ちました。

御主人 先輩社員から...

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主人の個展のマネージメントを生きがいに

佐倉〈ゆうゆうの里〉江澤 明様 (82歳)・弘子様 (74歳)sk_happytime6.jpg

(「結婚してからいろいろな経験をしてもらいます!」)

奥様 主人とは19歳で出会って21歳で結婚しました。主人は官庁に勤務。私は民間の会社にいました。出会ったばかりの1~2年は両親が反対でした。「まだ若くて世間を知らない、何も経験していないからまだ結婚は早い」という両親に、主人は「結婚してからいろいろな経験をしてもらいます。好きなことをしてもらいます!」ときっぱり。私は35歳の時に一念発起して保育の道を目指したのですが、その約束通り、保育士になりたいという私に「だったら、ピアノが弾けないとだめだろう。」と...

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『おたがいを思いやる気持ちが導いた結論』

佐倉〈ゆうゆうの里〉 榊 陽様(87歳)・ 榊 なほみ様(69歳)☆佐倉 榊様.jpg

(夫を見送るのは私の責任)

奥様 うちはすごく年が離れているのです。実は夫は18歳年上。彼を見送るのは私の務めだと思っていました。ですから自分はこういうところに入ると決めていました。ところが彼も「検討しようか」と。

ご主人 私が倒れたら付ききりになってしまう。今まで通りの生活ができなくなるのは気の毒ですから、こういうところに一緒に入ったほうが良いのではないかと、自分なりの決心をしました。湯河原、伊豆高原や他の施設を比較してみて、〈ゆうゆうの里〉が良いことはわかったのですが、最後に佐倉を見て自宅に近いところが良いと思いました・・・。

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『ぶつかり合いコンビは絶好調』

佐倉〈ゆうゆうの里〉 金子 純理様(81歳) ・  金子 信子様(78歳) 夫妻.jpg

(とにかく毎日が楽しい)
 お二人 本当は他の施設を検討していましたが、こちらの施設の見学会に来て以来方向変更し、結果としてこちらを選んで良かったと感じています。
 ご主人 今、囲碁や卓球を楽しんでいます。囲碁は以前から興味があったのですが、碁会所はなかなか入りづらかったのです。ここに来てからは2階の囲碁室にふらっと立ち寄れば・・・。
 奥様 私は入居以来一度も嫌な思いをしたことはありません。待機登録中にサークル活動を見学に来た時のこと・・・。

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『教育(今日行く)と教養(今日、用がある)を実践!』

佐倉〈ゆうゆうの里〉大金 恭一さん(82歳)・和枝さん(76歳)sk_voice1804.jpg


 〈恭一様〉振り返れば、現役時代は仕事ばかりで、子供のことも妻任せでしたし、妻に外で働かせるのは沽券に係わる...という考えで、「昔の働く男」そのものでした。しかし、時代の変化と共に自分の考え方も変える必要性を強く感じてきていたので、妻に「君もこれからは、家族のお母さんとしてだけではなく、自分の好きなことをしたらいいよ」、と本心から言うことができました。妻は驚いたようでしたが、感謝してくれましたし、これでいいんだ!という思いを強くしました。
 〈和枝様〉ずっと自宅で過ごしたいという希望を持つ両親が、年齢を重ねるにつれ心配になり...

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『夢を追いかけて、それを実現する!』

佐倉〈ゆうゆうの里〉松本 アイ子さん(74歳)sk_voice1706.jpg

現役を引退して早くも10年が過ぎようとしています。定年退職前に"今後の人生で必ずやりたいこと"を3つ心に決めていました。①書道塾を開くこと、②自立型ホームに入居して安心を得る事、③「文庫」を開き、子供たちと大好きな絵本に触れ合うこと。入居して6年、①~③全て実現することができ、現在も進行中。夢が叶ったと幸せを噛み締めています。②については、両親の介護経験から、自分は身内に頼らず、早いうちに自立型ホームに入居して楽しく暮らすと決めていました。いくつも...

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「"私らしく...そしてかっこ良く生きたい!"」

佐倉〈ゆうゆうの里〉佐山 勝子さん(79歳)

sakura.jpg今も、歌うことに夢中で、毎週船橋にレッスンに通っています。新しい楽譜をもらう度に、どんな曲かしら...!?とワクワクし、鍵盤を叩いたり、音域を確認したりと、イメージを膨らませて胸をときめかせています。もともと声を出すのが好きだったみたいで、学生時代はコーラスのほか、放送部にも所属していました。それでも、本格的な発声練習、皆と声を合わせて歌うことは毎回緊張の連続です。時には上手く歌えない悔しさで涙を流し、辞めてしまおうと...

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「我以外、皆、我が師」

佐倉〈ゆうゆうの里〉朝来野泰宏さん(81歳)

sk_voice1608.jpg高校時代、アメリカ人宣教師との出逢いがあり、時を経て洗礼を受けました。仕事柄、海外赴任が多く、赴任地それぞれの文化に馴染むのは大変でした。中東赴任中、仕事を通して、イスラムの友人も多くできました。イスラムという言葉が「平和・平安」という意味であるように、大多数は平和主義者。宗教が違い、習慣は違っても、皆仲良くなれるものです。日本でもアメリカでも、日曜学校の教師を務め、大人にも子供にも伝わる話し方を訓練させられました。人生を...

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「"安心"こそが、私の元気の原動力です!」

佐倉 宮崎様_加工_4.jpg佐倉〈ゆうゆうの里〉宮﨑由子さん(67歳)

父親が大の花好きだった影響を受け、私も大の花好きです。花好きが嵩じて、学生の頃から山登りが趣味になりました。休暇をもらうと、その季節にしか咲かない花を求めて、日本全国を歩き回りました。その年その年によって、微妙に開花時期が違ったりする、これもまた山の魅力で、「いつかまた見に行きたい!」という動機につながりました。自然の中で、人の手が加わることなく、ひっそりor凛としている植物(の姿)に、強くたくましい生命力を感じ、私もそこからパワーを得ます。・・・

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どんな時も"今"を楽しまなきゃ損だ!

佐倉〈ゆうゆうの里〉木越一雄さん(69歳)桜15.8a.jpg

40歳を過ぎた、働き盛りの真っ只中に、生死を彷徨う病気になり、家族にも大変心配をかけました。病名は、脳動脈瘤破裂。奇跡的に一命を取り留めたこの時から、私の人生観はガラリと変わり、家族のためにも、助けられた、いただいた命を大切にしたい、今を楽しまなきゃ損だ!という境地に至りました。あの時以来、この気持ちは変わっていません。・・・

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やっぱり、味が出てくるような人生がいいな。

佐倉〈ゆうゆうの里〉平山博巳さん(75歳)sakura1501.1.jpg

私は妻の薦めで40 歳の時に洗礼を受け、クリスチャンに。仕事を辞めてからは教会で仕事(奉仕)をしています。主には、月報・週報を作る、行事の準備やセッティングの確認などですが、何でもやります。手伝いを始めてから10 年以上になるから、教会奉仕活動ではベテランの域になったかな?お蔭様で、パソコンも始めた頃に比べたら、随分と上手くなりました。子供たちとの触れ合いも楽しい。教会に集まる人に・・・

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住み心地は想像以上!

20140502sa.jpg佐倉〈ゆうゆうの里〉朝井昭明さん(81歳)

今から7年くらい前(平成19年頃)、それが〈ゆうゆうの里〉との出会い(初見学)でした。佐倉の街は仕事でも来たことが何度もあり、いい街だと以前から思っていた。ただ、当時はまだ町内の役員もやっていたし、当時の暮らしに満足していたので、「即入居」は全く考えていなかった。でもあの時から、頭の片隅に〈ゆうゆうの里〉があったね。決めた理由は・・・

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自分の足で、日本中を訪ね歩くのが夢!

skv1308.jpg佐倉〈ゆうゆうの里〉松苗志江さん(71歳)

若い頃は、夫婦共働きで一生懸命仕事をしてきました。50歳を超えた頃から、夫婦二人で日本各地を周る旅を楽しむようになりました。主人がゴルフで不在の時には、私は私で地域主催の歴史講演会や、名のある史跡を訪ねて周る『歩く会』に参加していました。これがすごく面白くて・・・。旅行も、自分の足で史跡を訪ね歩くことも大好きになりました。・・・

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今が幸せ!悩んで決めた意味がわかった

skv1305.jpg佐倉〈ゆうゆうの里〉関本敦子さん(81歳)

私は、『子供に頼ろうと思わず、自分で生活できるときは自分で生活して、できなくなったら面倒を見ていただく』、そんな理想を描いていました。姑・母・主人・そして父を介護し、父とは最後同居しましたが、それぞれみな大変でした。一人息子は「僕らがいるのになぜ施設に行くんだ?入居したら世界が狭くなるのでは・・・

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"絵"から広がる出会い

skv1301.jpg佐倉〈ゆうゆうの里〉根道明子さん(74歳)

50歳を過ぎた頃、同居していた両親が佐倉<ゆうゆうの里>へ入居。私は現役で仕事があったので、勤務地に近いケア付きマンションに入居しました。でも、仕事を辞めた後に「両親が暮らした「ここ」がやっぱりいい!」と65歳の時に入居を決め、すぐに越してきました。介護の面では絶対的な信頼が<ゆうゆうの里>にあったので決・・・

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99%満足の毎日

skv1208.jpg佐倉〈ゆうゆうの里〉関根直栄さん(81歳)

施設の検討を始めたのは、50歳代後半、現役の時からです。子供がいなかったので早くから関心を持っていました。68歳でシニア住宅を選択し入居しました。しかし入居してみると、介護が必要になった時のサービスが全く整っておらず、不安を覚えて退去。佐倉<ゆうゆうの里>のことは何度も訪ねて、質問をぶつけて、終の棲家・・・

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心がけ次第。楽しくやっています

skv1204.jpg佐倉〈ゆうゆうの里〉村上小枝子さん(90歳)

65歳の時に、ご夫婦で契約された村上小枝子さん。東京のご自宅と<ゆうゆうの里>を行き来した生活の後、今は常在されています。「子供がいなかったので、施設への入居は早くから考えていました。緑の多い環境や、昔のままの桜の木々が残っているのが気に入って、・・・

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今がすごく楽しい!

skv1201.jpg佐倉〈ゆうゆうの里〉麻木隆一さん(76歳)

僕たち夫婦には子供がなかったから、将来は絶対にホームに入居しよう、と決めていました。千葉県内のホームを10か所以上見学した結果、決めたのは佐倉<ゆうゆうの里>。街(城下町)の落ち着いた雰囲気が気に入ったからです。それに、住み慣れた千葉県なら、趣味も今まで同様に続けていけると思います・・・

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佐倉はふるさと

skv01.jpg佐倉〈ゆうゆうの里 根道 明子さん

入居する前は、私は湘南の海の近く、管理の行届いたマンションで自由な一人の生活を満喫していました。
両親は80才を過ぎてから、佐倉ゆうゆうの里に入居し、私も週末には二人を訪ねて、里の生活を楽しむ様子に安堵しておりました。
その後、母と父が里で最後を迎え、里との関係もなくなり、一人の気ままな生活を続けておりました。
しかし、心の奥に横たわっていた一人でいる事への不安は次第に大きくなり、里に入ろうと決心しました。
そこで、思い切って里を訪ね、すぐに入居を決め、職員の暖かい笑顔に迎えられました。
自由でありながら、どこかで見守られている里の生活は、大変に心強く有難いものです。
今、私の不安は解消し、佐倉を選んでくれた両親に感謝しています。
時には、近くの市立美術館に立寄ったり、スケッチブックを手に散策をしたり、里のイベントに参加したり、の毎日を嬉しく思います。
明るく親切な職員のお世話になり、多くの友人と笑顔を交わし、大きな木々や草花を愛でながらの日々の満足度は100%を越えています。