大阪〈ゆうゆうの里〉

30代に思い切って転職した会社に、今でも里から通勤しています

大阪〈ゆうゆうの里〉椎野 ひさ子様(79歳)

(一番上の兄は16歳上)os_happytime11.bmp

5人兄姉の中で育ちました。一番上の兄は16歳上です。兄は通っていた高校の教師、私は生徒という関係で、いわば父のような存在です。義姉が他界して、兄も70代で癌になり亡くなるまでお世話をしました。その時、「兄には私がいるけど、私が弱ったら誰が面倒を見てくれるのだろう」と思ったものです。高校を卒業し銀行に5年ほど勤めたとき、明治生まれの父の介護が必要になりました。私は...

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断然自然が好き。淀川の河川敷散策という楽しみを見つけました

大阪〈ゆうゆうの里〉上田 尚子様(76歳)

 (「虫姫」はかけっこも速い)os_happytime9.jpg

長女、次女、私、妹、弟の5人姉弟。自然が豊かな場所で育ちました。子供時代にはセミや虫なら何でも捕まえていたので「虫姫」と呼ばれていたことがあります。弟と私はかけっこが早くリレーの選手として運動会で活躍しました。私が中学三年生になって、母が亡くなり、父は男手一つで子供たちを育てました。二人の姉は母親代わりです。家族の仲は良く...

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座右の銘は「共生(ともいき)」。人の為に尽くして守られた人生に感謝

大阪〈ゆうゆうの里〉中尾 治様(81歳)

(人のご縁によって事業が成功)os_happytime7.jpg

最初は従弟の運送会社に就職。そこでいろいろな方々との良い出会いがあり独立することになりました。株式会社ホーシンという金属加工会社を設立して40年。事業所は本社を含めて9か所になりました。今は息子に会社を譲り会長職をしておりますが、今も里から職場に通っています。

独立までのいきさつですか。その運送会社が事業の多角化をすることになり、私が新規事業を担当した時のことです。

 

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いつだって人が好き。人とのふれあいが私の心を若くする。

大阪〈ゆうゆうの里〉藤家 栄子様  (74歳)os_happytime5.JPG

(「めちゃ面白くてめちゃ怖い先生」)
中学校で理科の教師をしていました。授業はキチッとしないと気が済まない性格です。生徒がペチャクチャ喋っていたら「帰れ~!」と怒る。生徒たちが感心なことをすれば心から喜ぶ。騒ぐ時は子供に負けんくらい一緒に騒ぐ。そういう態度で生徒と接していました。振り返れば、受け持ちのクラスは、私が知らない間に朝練をするような自発的なクラスでした。クラス対抗でも...

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『誰にも気兼ねなく生きる。日々を大切に生きる』

大阪〈ゆうゆうの里〉 赤田 照子様(85歳)☆大阪 赤田様.jpg

(兄弟の反対を乗り越えての入居でした)
 主人を亡くして間もなく一人の暮しが不安になりました。住宅や庭の手入れも大変ですし、不用人も心配になりました。亡夫の月参りに来て下さるお寺の導師に、〈ゆうゆうの里〉のことを教えてもらったことが検討のきっかけになりました。「百人展」を見学したときに、車椅子を押す職員の優しい姿、振る舞いに温かみを感じて、内心ではここと決めました。
 ところが兄弟は全員が反対。「そんなところに行かなくても」と、弟たちが自宅に来ないかと言ってくれたのです。しかし、それは弟も私も健康で動ける身だから言えること・・・。

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『娘家族とも離れて、今は、夫婦水入らずの毎日です』

大阪〈ゆうゆうの里〉しあわせ 1(大阪 秋岡夫妻様).jpg秋岡 稔さん(85歳)・佐津美さん(81歳)

「教養を持たなあかん」が口癖

〈稔様〉戦後、「これからは建築の時代」と、角帽に憧れて大阪市大に入学。夜中の3時、4時まで一所懸命勉強して一級建築士をとりました。就職先は宮大工としても実績のある建築会社。私は現場監督として職人を束ねる仕事をして常務になりました。仕事の中心は教育係でした。若い人には「教養を持たなあかん」、「専門誌を2冊は読め、新聞を読め」といつも言いきかせて来ました。また、「おい大工」「おい、左官」と呼ばせず、名前で呼ぶように指導しました。彼らには口うるさい親父だったでしょうが・・・
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『もっといろんな方とお話ししたい これからも楽しみが一杯です』

大阪〈ゆうゆうの里〉蔑崎(よしさき)安司さん(76歳)

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戦争中に生まれ、また7人兄弟だったので生活は大変でした。中学生の時は野球をしたかったけどできなかったので、自分でセメントを買ってきてバーベルを作りトレーニングをしていたんです。また石炭箱をもらってきて、当時流行っていたスマートボールの台を作ったり、竹とんぼを作ったりもしました。庭で野菜作りのお手伝いをしたりと、子供のころから物作りが大好きな子供でした。

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『マイペースで暮らせる幸せを感じています。』

大阪〈ゆうゆうの里〉山本 裕子さん(76歳)os_voice36.JPG

子供の頃は引っ込み思案な子でした。弟ができてからだんだん親にくっつかないようになりましたが、厳格な父が勝手に女学校への進学を決めた時も黙って従うという子でした。でも卒業後の進路は自分で決めたかったんです。教師を目指し学芸大学(教育大学)へ進みました。教師を選んだのは、「子供が大好きで一緒にいると楽しいなぁ」、「子供の作文を読んだら楽しいなぁ」と思ったからです。しかし実際は大変でした。小学校は全教科を教えないといけないので教材を作るのも大変。給食費の管理などの雑務も多く、毎日が残業の日々でした。その頃はプライベートな時間に趣味を楽しむといった余裕はほとんどありませんでした。でも...

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『負けたくないと頑張った人生。「日々是好日」の今』

大阪〈ゆうゆうの里〉橋内 さき子さん(87歳)os_voice35.jpg

子供の頃は事情があり養祖父母に育てられ、その後同居になった養母に気を遣う生活でした。そんな経験から幼い時から親に頼れないとわかっていたんです。でもなぜか、何とかなる、何とかできる自信はありました。
人に頼ってはいけないと思っていたので早く働きたい、自分で稼ぎたいといつも思っていました。18歳で電電公社に就職しました。交換手としての基本の研修を終え配属になり、しばらくは普通の交換業務をしていたら、課長から「英語を学びたい者はいるか?」と...

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幸せはすべてに感謝することから。前を向いて生きていきたい

大阪〈ゆうゆうの里〉大塩 和子さん(83歳)os340507.JPG

主人とはお見合い結婚です。昔気質の人で、「女性は家にいて家を守るもの」と、私が外で働くことは絶対反対の人でした。ちょっとは出てみたかったけどこれが当たり前と思い反発もせずずっと専業主婦でした。子育ても私の仕事。子供の学校のPTAの副会長を任されました。大変だったけどたくさんの友人にも出会えました。家の...

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おいしいものを食べている時が一番幸せ

大阪〈ゆうゆうの里〉西尾 道子さん(76歳)

os_voice33.jpg主人とは人の紹介で出会いました。「外のことは男がする、家の中のことは女がする」という考えの人で、一生懸命働いてくれて、私は家の中のことを自由にさせてもらっていました。二人でよく旅行に行きました。私は露天風呂が大好きで、全国の温泉地によく行ったものです。蔵王の雪景色の露天風呂なんて最高でした。夫婦というのはいつでも夫婦です。二人一緒にいたときはもちろん、主人が亡くなって一人になって一人になってからもやっぱり夫婦。今も...

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「自分の好きなことをせな損!」

山本清次様(84歳)大阪〈ゆうゆうの里〉山本清次さん(84歳)

 13歳から電気工事の仕事をして、18歳で一人前の仕事を任されました。国家試験にも合格して、25歳で班長になった時には部下を持ちました。責任があるので朝早くから夜遅くまで働きましたよ。普段は新築の家に電気を引く仕事でしたが、人里離れたところでも、銀行の金庫でも、電気が必要ならどこへでも行きました。誰にでもできる仕事とは違いますから、現場ではいつも「仕事に責任と誇りをもて」と教えていました。・・・

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今の暮らしは、主人と母のおかげ 好きなことを、好きなだけ楽しむ

松野様顔_1.jpg大阪〈ゆうゆうの里〉松野美千穂さん(80歳)平成24年入居

お見合いで結婚した主人は、当時、守口で義母の時計店を継いでいました。義父はサラリーマンでよい人だったけれど、お酒を飲むとダメだったらしくて。それで義母が頑張ろうと思って、昭和4年に小さな店から始めたそうです。商店街の入口で場所もよく、松下や三洋といった大きな会社がまとめて買ってくださったりして、時計の他にも眼鏡や宝飾品も扱っていました。・・・

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ラケット持ったら気分は女学生! 何もかも忘れて楽しんでいます

大阪〈ゆうゆうの里〉山田美枝子さん(78歳)大阪15.8.jpg

実家は姫路の結納店で、祖父母・両親・弟二人のほか賄いや畑仕事を頼む使用人達もいる賑やかな家でした。両親は子供ができず、養子をと思った矢先に私が生まれたためか、父は特に私に甘く、何でも好きな物を与えてくれました。洋裁学校に通い、調理師免許も取りましたが、両親の言うままの頼りない娘で、そのうち縁談の話がきてお嫁に行くことになりました。・・・

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沢山の人に助けられた これまでの恩返しがしたい!

岡部様★.jpg大阪〈ゆうゆうの里〉岡部美幸さん(74歳)平成24年入居

23歳の時にお見合いをし、見初められ結婚しました。主人は一人っ子の我がままで強引な人でした。同居する主人の両親が何か言ってきても「僕の嫁は、僕の思い通りにする」と言い、聞に挟まった私は辛かったです。朝、仕事に行く時は、必ず玄関まで見送り、帰宅時は玄関まで出迎える。付き合いで遅くなっても、私は起きて待っていて・・・

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私は、歌が好き。歌と共に人生を過ごしてきた

20140521os.JPG大阪〈ゆうゆうの里〉桂紀美子さん(75歳)平成25年入居

三重県で生まれ育ちましたが、学校卒業後に東京に行き、美容師になって大阪に出てきました。母が専業主婦で、父と別れた時に手に職が無かった為、大変困っていたのを見ていたので「手に職を」と思い資格を取り、旧守口市駅の美容院で12年間働いてきました。大阪に出てきて、もう50年になります。もう一つ私になくてならないものは歌です。亡くなった母の影響でしょうか、悲しい気持ち・嬉しい気持ちに係わらず・・・

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「結婚しなくていい」が一転、素敵な主人との出会い

osv26.jpg大阪〈ゆうゆうの里〉小谷純子さん(83歳) 平成20年入居

弟が生まれた翌月に父が亡くなり、母が銀行で働きながら女手ひとつで、私達3人の姉弟を育ててくれたのです。大変な苦労だったのでしょう。母は口癖のように「結婚だけが幸せではない。女も手に職を持ち、自立できるようにしなければ・・・。」と言い続け、私の結婚にはことごとく反対しましたが、銀行員時代の上司と縁があり、母も昔一緒に仕事・・・

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安心して夫婦で老後を楽しみたい

osv24.jpg大阪〈ゆうゆうの里山崎安明さん(82歳)・昌子さん(74歳) 平成22年入居

「私は、姑さんの介護をし、大変さが分かっていたので、息子や嫁にその苦労をさせたくなかった。介護のプロがいる施設で安心して暮らしたい」と奥様は考えていました。ご主人は若い頃に会社を作りました。「苦労した時期もあったが、仕事一筋で、仕事が人生だった。好きな仕事だったので頑張れたが、家庭のことは家内に任せ・・・

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一家を支え尽くした末に出会ったゆうゆうの里

osv23.jpg大阪〈ゆうゆうの里高峰靖子さん(85歳) 平成2年入居

高峰さんの入居は、約20年前66歳の時。38年間勤務した下関の地元の電子機器メーカーを退職してまもなくの入居です。高峰さんは20歳の時に、ご家族と一緒に満州から引き揚げてきました。波乱に満ちた人生の始まりです。引き揚げは大変つらい体験でした。それまで築きあげた財産はすべて没収され、ゼロからのスタートになった・・・

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59歳で中学校の教師を退職した後中国の日本語教師として再び教壇に

osv22.jpg大阪〈ゆうゆうの里菱田茂子さん(79歳)

「主人が亡くなり、子供もいない。『このまま一人で最後は孤独死?』と哀しい気持ちになったのが、入居を考え始めたきっかけ。老後をもっと有意義に過ごしたい・・・という思いがだんだん大きくなりました。ゆうゆうの里は、長年住み慣れた我が家から近く、私の一番の条件だった経営基盤の安定や、評判が・・・

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入居はオープン前 20年の思い出が詰まっています

osv21.jpg大阪〈ゆうゆうの里岡田尚子さん(83歳) 昭和60年入居

眼科医をされていたご主人の閉業に伴い、これからは夫婦で楽しくのんびりと過ごすということを考えた時、旅行が好きだったご夫婦にとって利便性の良い大阪<ゆうゆうの里>が、入居を決めた一番の理由でした。二人の楽しみである旅行は、入居後も続きます。二人で行った世界一周旅行は、大きな豪華客船・飛鳥で回られました。・・・

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