2023年10月

ものづくりに熱中し、音楽を友として過ごして来ました。今、40年ぶりの楽器に挑戦しています

浜松〈ゆうゆうの里〉堀内 二三夫様(75歳)

(幸いにも仕事は面白く定年まで勤めました)hm_happytime20.jpg

静岡県掛川市で農業を営む両親のもと、兄3人、姉2人の6人きょうだいの末っ子として育ちました。一番上の兄とは22歳、すぐ上の兄とも6歳離れており、一人っ子みたいに育ちました。中学を出て就職することになったのですが、まだ15歳ですからどのように就職先を決めたらいいのかもわかりません。長兄が苅谷市に住み自動車工場で働いていたので、半分旅行気分で兄を訪ね相談。同じ苅谷市にある...

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選んだ仕事をまっとうし、妻との時間も手をぬかず、まっすぐに自分の人生を歩いて来れたのかな

湯河原〈ゆうゆうの里〉若㔟 憲一様(76歳)

(出版社に入社してから引退するまでの間、水道事業のための仕事をしました)yg_happytime20.jpg

大学を卒業した時は全く就職するつもりがなく、翌年の一月に新聞を見て応募したのが水道事業を専門に扱う出版社でした。その年の10月に大阪転勤の話があり、新人のくせに立候補して転勤を勝ち取りました。僕は東京育ちだけど、大阪はとても肌に合っていました。水道の水は絶対安全でないといけない。水道局が管理し...

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40年暮らしたオーストラリアを離れ、老後は日本と決めました

神戸〈ゆうゆうの里〉林 幸一様(75歳)

(オーストラリアは技術者としての僕を大事にしてくれました)kb_happytime20.jpg

父は海外航路の船員で3カ月に一度位帰ってきました。今思えば父の影響で海外を身近に感じていたのでしょうね。35歳でオーストラリア移住を考えました。当時の日本はバブル景気。残業や休出が当たり前という働き方に疑問を感じたことがきっかけでした。オーストラリア政府が技術職の移民を募集していたのです。娘が4歳...

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入居してから、老後が「おまけの人生」ではなくなりました。すべてがかけがえのない時間です

佐倉〈ゆうゆうの里〉罍 サイ子様(75歳)

(35年間教師を続けてこられたのは、先生同士、地域、子供たちとつながりがあったから)sk_happytime20.jpg

福島県会津若松市の近くで、5人きょうだいの末っ子として、祖父母もいる10人の大家族で育ちました。小学時代は「農繁期休暇」があって田植えや稲刈りを手伝う時代でした。やがて私は、新潟の大学に進学するため故郷を離れました。教育学部を卒業して、就職のため東京に出てきてから小学校の先生になりました。就職した...

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