伊豆高原〈ゆうゆうの里〉

私は楽しむために入居をしました。早期入居でできた、たくさんの時間を自分らしく楽しみたい

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉渡邉 ひとみ様(71歳)

(東京育ちです。都内で地方公務員として働きました)izu_happytime21.jpg

小学校は、父の仕事の関係で葛飾区・杉並区・荒川区と3か所変わりました。友達が出来たと思ったら転校という感じで、一人でポツンといることが多かったです。元々みんなでワイワイというよりも、一人でいる方が楽だったのかも知れませんね。学生時代も東京で過ごし、卒業後は公務員として働きました。事務職なので、仕事は福祉関係から教育委員会、戸籍関係など...

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自然に恵まれた環境で、先の心配がなくなりました。主人と一緒に入居できたらもっとよかったな

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉渡邉 純子様(87歳)

(「食事は全員で一緒に」を大切にした家族)izu_happytime19.jpg

父は損保会社に勤める転勤族でした。きょうだいは男・男・女・女・男・男の6人で、私は4番目の次女です。きょうだいで喧嘩した記憶はほとんどありません。家族全員でどこかに出かけるということはあまりありませんでしたが、食事はいつも家族全員でしていました。父は釣りが好きで、よく釣りに連れて行ってくれましたね。船宿で船を借りて...

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夫婦二人、おかげ様で充実した人生を歩いてきました。今は老後を案ずることなく二人でテニスを楽しんでいます

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉荒川 孝夫様(80歳)・美代子様(78歳)

(ビジネスマンとしての40年に悔なし)izu_happytime17.jpg

ご主人 たまたま母親の実家と女房の実家が近くにありましてね。母親方の叔父がそろそろ面倒みてあげなきゃいけんだろと。

奥様 紹介していただき結婚しました。

ご主人 ビジネスマンとして40年、全てがやりがいでしたね。色々な仕事をして、知らないことに挑戦してきました。その都度、様々な方に助けていただいたことに感謝は尽きません。営業をしていた時には...

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父・母・兄の三人を看取りました。今は安心して自分の時間を楽しんでいます。

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉田中 紘子様(78歳)

(変化が欲しいなと思って始めた山歩き)izu_happytime15.jpg

兄が二人の中で育ちました。女一人、いつも男に負けっ放しでした。子供の頃は消極的でおとなしい子供でした。卒業してからは全日空の関係会社に就職。最初の10年は飛行機を使う旅行を販売する仕事をして、次に20年羽田空港近くの整備場に勤務しました。飛行機の部品を手配するような仕事、それから、人事、経理、総務も経験しました。仕事はどれも楽しかったですね。経理では...

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主人が考えて選んだリゾートのようなホーム。そこには「どうしたの?」と言い合える安心感が

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉佐藤 友記様(74歳)・まゆ美様(67歳)

(兄が連れて来た友人の一人が友記さんでした)izu_happytime13.jpg

ご主人 大学時代に知り合った友人に呼ばれて、何度かお宅を訪ねたことがありました。

奥様 うちの兄はけっこう人を家に呼ぶんです。その一人が友記さんでした。私一人が女の子だったので、ご飯を出す時には、よく母を手伝っていました。次第に何となく結婚を意識するようになりました。

ご主人 工学部を出てから政府の関係機関で...

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やはり人が決め手。入居者も職員も温かく迎えてくださり入居前から安心でした

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉岡本 陽子様(73歳)

(母の奨めで薬剤師の道へ)izu_happytime11.jpg

私は小学校に上がるまで体が弱い子供でした。小児喘息とわかってから小学3年まで治療を続けて良くなりました。それまでは体育や音楽の授業などは全部休んでいましたが、段々と元気になり中学校の時には、友達と海にも行けるようになりました。友達と遊べるのを励みに、もっともっと元気になろうと心掛けるようになりました。高校時代は...

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「思いたったが吉日」ダメだったらやり直せばいい

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉野口 清美様(79歳)

 (働き盛りの決断。土いじりしたい)izu_happytime9.jpg

 茅ケ崎に住んでいましたが、伊豆高原に移住してから34年になります。移住は主人が53歳、私が45歳の時でした。実は主人が次期社長になることが決まっていて、断れない状況にありました。でも、主人は表に出るのが苦手な人だったから、「ちょうどいい、辞めちゃいなさいよ」と言って決めました。私はパッパッパとやりたいタイプで、全てが「思いたったが吉日」なの。ダメだったらやり直せばいいと。40代になってからずっと...

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〈ゆうゆうの里〉は、環境が良くて一目惚れでした

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉古山 啓様(69歳)・芳枝様(70歳)

(同じ会社で出会って21歳と22歳で結婚。もう少しで金婚式です)izu_happytime7.jpg

ご主人 私は昭和44年電電公社(現 NTT)に18歳で入社。最初の仕事は主に電話交換機の保守でした。その後60歳まで仕事を続け退職しました。

奥様 私は昭和43年に18歳で入社。夫の一年先輩です。最初は電話の交換手になり、その後は営業系や窓口の仕事をしました。交換手って今はないけど、誰かが電話をかけてきたときに回線同士をつなぐのがお仕事なの。

奥様 出会いですか。会社が主催するクリスマスのダンスパーティーで出会ったの。

ご主人 当時はスキーやキャンプとか、会社がそういうのを積極的に応援してくれていたんだね。

奥様 その頃の彼はすごく優しかった。全部私に合わせてくれて、私は自由でいられたの。

 

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看護師人生55年、退職直後に入居。ここでは何かを始めることができる

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉中山 美智子様(76歳)izu_happytime5.JPG

(母の背中を見て育ちました)
母は助産婦でした。赤ちゃんはいつ生まれるかわかりません。呼ばれると早朝でも深夜でも妊婦さんのもとへ駆けつけていました。そんな状況で私たちきょうだい5人を育てているのですから、「母はすごい!」と子供心に尊敬していました。そんな母から教わったことは「これからの時代は手に職をつけなさい。何か資格を取りなさい」ということ。姉や兄はそれぞれ、薬剤師や教師になって行きました。私は看護師の道を選びました。母のような...


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『マイナスの事があるからプラスがある・・・介護の経験があったから今の道があったと感謝』

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉 福田 幹子様(68歳)☆伊豆高原 福田さま.jpg

(元気なものが弱い人を看るのは当たり前)
 22歳で結婚。まもなく重度障害の義姉の面倒を看ることになりました。最初の5、6年は少し動けたのに、その後は全介助の寝たきりに。自宅の別棟を改造して生活しやすし、訪問看護師さんやヘルパーさんに来ていただきました。でもリウマチの痛いところが分からず、慣れた私でないとお世話が難しかったです。自宅で最後を迎えるときには「死ぬのが恐い」という彼女に「傍にいるから」と最後まで寄り添うことができました。安らかでした。17年間です。完全にやり切りました。その後、今度は母が認知症になり・・・。


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『これからは地域・社会に貢献の人生を』

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉 しあわせ 1(伊豆 井上隆様).jpg井上 隆様(69歳)

(伊豆が好きだったので迷わず決めました)
 定年の前後から施設に入居することを考え始めました。さらに元気なうちに入居しようということも決めていました。以前から毎週末遊びに来るほど伊豆の自然が好きだったのでここに入居を決めました。
 入居してからは、充実した日々を過ごしています。入居前に予想していた暮らしとギャップは感じません。また、仕事は現役時代にやりきったという満足感もありますので、ここでは今までの肩書きや先入観を捨てて、いろいろなことに間口を開いていこうと考えています。例えば花の名前なんか以前は・・・。
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「今の生き甲斐は庭園ボランティア! ~ これも義父のお陰です~」

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉  栗本博様(74歳) ・ 君子様(73歳)

主人との出会いizu_voice41.JPG
(君子さん)実は主人は当時お付き合いしていた彼の友人だったんでです。グループで遊びに行く友人関係でした。でも、当時付き合っていた彼と結婚の話が出たときに、養子には行けないと言われ別れることになりました。その後、主人から「僕は養子でもいよ」と言ってくれたのと、人柄にも惚れて結婚しました。結婚後は私の実家に入り、同居生活が始まりました。

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「入居三年目!新しい気付きを求めて」~ お仲間とのお付き合いを楽しむ毎日 ~

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉辻井 登美子さんizu_voice40.jpg

現役時代は仕事のことで毎日が張りつめていました。自宅と職場を行き来する毎日。時には、一日の段取りなどを考え夜も眠れない日もありました。定年になったら、張りつめた生活から解放されたいと思っていました。
 定年後は、そのまま東京にいて、美術館巡りやデパートでショッピング、夜は水泳に通い、開放感を楽しんでいました。色々な教室に通い、教室の仲間とのお付き合いも楽しみました。習いたいと思っていた洋裁も始めました。その時に出会ったのが、...

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~「今が青春♪」~

伊豆高原〈ゆうゆうの里〉金子満志子さんizu_voice39.jpgのサムネイル画像

私は夫の介護をして看送りました。介護の期間は長かった。主人は50代の頃より持病があり、少しづつ介護が必要になりました。80歳を過ぎた頃には身体自体が弱り、壊疽で片足を失いました。車椅子生活を余儀なくされ、透析も必要となり週に三回通院していました。思えば、透析をしているわずかな時間が自分の時間でした。プールに行く事もありましたが...

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知りたいと思った自分たちの町

DSC00237_2.jpg伊豆高原〈ゆうゆうの里〉佐俣さんご夫妻

引越してから「まず始めに我が町・伊東を知ろう」と、観光施設や名所を見て歩きました。しかし、歴史や由来は誰が教えてくれる訳でも有りません。ただ漠然と" 見て歩くだけの観光" でした。「もっと伊東を知りたい」という思いが強くなってゆく中、新聞のある記事が目に飛び込んできました。それは伊東市主催の自然歴史案内人講座受講生募集の案内でした。・・・

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金さえあればどうにでもなると思っていた

菅野様(食堂テラスにて)-2.jpg伊豆高原〈ゆうゆうの里〉菅野さんご夫妻

菅野様ご夫婦は入居し、もうすぐ3年目になります。菅野様のご主人様は小説家です。入居後、ホームを比較検討する際に集めた資料を見返したところ、経営者側の目線で書かれたものばかり、入居者本人が書いたものがないと感じ、なら自身が体験した事を伝えようと本を出版することにしました。その本が「老人ホームの暮らし365日」です。・・・

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まだ、お世話する側で頑張る

izv36.jpg伊豆高原〈ゆうゆうの里野口佳枝子さん

野口様は入居されて31年になられます。入居当初より、特養にお手伝いに出かけたり、ご主人様とお二人で里のご入居者の車椅子を押し、散歩へ出掛けるという事もされていたそうです。ご主人様の具合が悪くなり、その間1年ほどボランティアをお休みされました。ご主人様は平成3年に他界、自分の時間が持てる、趣味が出来る・・・

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それぞれの趣味を楽しむ

izv35.jpg伊豆高原〈ゆうゆうの里井出利夫さん・洋子さん

「伊豆高原へ入居される方の多くが、この自然に魅せられたと聞きます。私たちもその中の一人です。」と笑顔で話されるご主人様。奥様は「私一人になったらホームへ入居しようと、主人に内緒で思っていたんですよ。」と話されます。ご主人様が70歳の時に脳梗塞を患いました。幸い後遺症はほとんどなく回復されまし・・・

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母の介護が入居検討のきっかけ

izv34.jpg伊豆高原〈ゆうゆうの里小川方子さん

入居され3年になられます。「20年近く母の介護をしたことで、自分の老後、老いと死を考えるようになりました。母の入居検討で、浜松ゆうゆうの里へ見学に行ったことがあり、その頃よりも長谷川保先生を尊敬していました。母を看取った後も"ゆうゆうの里"という所が頭の片隅にあり、自分の希望する場所なのか確かめたくて、他ホーム・・・

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大自然に日々感動、色々な楽しみが増えました

izv33.jpg伊豆高原〈ゆうゆうの里〉木村孝さん・善子さん

「施設行事の散歩ツアーに参加した際、里のご入居者が元気でいきいきとされている姿を見て、自分たちもこうなりたいと思い、思っていた時期より早めて入居しました」とにこやかに話される木村様ご夫婦。入居されて1年6カ月になります。「伊豆高原は何度も旅行で足を運んだ好きな場所。この自然環境や・・・

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緑の美しさに魅了され、予定よりずっと早く入居

izv01.jpg伊豆高原〈ゆうゆうの里 山中 誠子さん

主人に先立たれ、一人息子も自立した後の3年間は、ショックのために自宅で寝たきりとなって何もできなくなりました。体調を崩して入退院が続いた結果だいぶ痩せてしまい、「このままこの生活を続けていて、いざという時一人でどうすればいいのだろう」とふっと不安を感じたのが入居を考え始めるきっかけでした。当初は70歳過ぎをめどに入居しようと考えていましたが、体験入居で数日間滞在したときに、窓から見える緑豊かな景色を見て「ここしかない」と。入居してもうじき2年ですが、早すぎたという思いはまったくありません。 毎日欠かさずに入る温泉大浴場は、家のお風呂とは違い骨の芯まで温まります。おかげで、もともと冷え性で汗をかきにくい体質が改善され汗が出るようになりとても健康的になりました。また、入浴が一緒の時間帯の友人ができ、温泉につかりながらのおしゃべりを楽しんでいます。 「自然の中で暮したい」という昔からの願いも叶い、太極拳・ヨガ・ボードウィービングの教室に通うなど趣味も満喫して、自分のために24時間めいっぱい使って楽しく過ごしています。